北の玄関口(上野駅)へ2016/11/03 16:00

E-231系の在来線に乗って‥上野東京ラインで東京へは行かず上野で降りる‥だって、そこは北の玄関口だから‥
 
09:23 池袋~新宿~東京方面の E-259系 NEX を見送る
 
09:26 尾久駅通過後‥スカイツリーが近づいてくる
 
09:29 京成線との立体交差
 
09:30 上野駅へ
 
駅の表示は昔とはちょっと違う
 
E-657系ひたちは東京方面へ
 
 
 
 

14番線 E-651系草津1号 
 

中央改札
 

中央乗換通路 

公園口通路

公園口
 
             北の玄関口(上野駅)へ

国立科学博物館(本日無料)2016/11/03 17:00

国立科学博物館に訪れた目的は、恐竜の化石を記録すること。入館してすぐに迷わず地球館の地下1階へGO‥4時間かけて地球館と日本館を見学したが、まだまだ見たりない‥見学を終えて感じたことは‥

宇宙と地球と生命の歴史を知ることで、すべての生物は共通の祖先を持ち、すべての生物は親戚関係にあることを学び、すべての生物は進化とともに生きるか死ぬか、食べるか食べられるかの関係になっていったのだな‥と‥。

また、物事を考えたり判断したりすることができる生物は脳をもつ動物だけでなく、バクテリアや植物を含むすべての生物の個々の細胞が環境に適応して本能を発揮しているのだと感じずにはいられなくなった。


 
10:00入館
 
15年ぶりです
 
今日は入館無料でした‥通常は620円
 
日本館地下1階にあるフーコーの振り子
 
日本館1階から天井を見上げる
 
日本館3階に上がると‥
 
ステンドグラス
 
日本館2階からはこんな感じ
 
地球館3階から望む日本館北翼のドーム
 
地球館3階から望む上野駅とスカイツリー
 
14:05見学終了(地球最大の現生動物シロナガスクジラ原寸大模型)
 
博物館正面(上から見ると飛行機の形をしている建物です)
 
            東京上野:国立科学博物館

国立科学博物館(日本館1F)2016/11/03 17:10

日本館の1階では、時空を超えて‥移り変わる季節と多様な自然の中で培われた細やかな観察眼と、日々の生活の中で育まれたものづくりに対する独創性。現在に伝えられている当時の文献、作品、道具あるいは装置などは、私たちの科学と技術に関わる活動の跡を雄弁に語ってくれます。
 
  
トロートン・アンド・シムス社製/口径20cm屈折赤道儀(明治13年)重要文化財。日本に初めて導入された本格的な天体望遠鏡。
 
幕府から暦の作成を引き継いでいた明治政府によって、当時の内務省地理局に新たな観測用望遠鏡がイギリスから輸入・導入された。それがこのトロートン社製口径20センチの屈折赤道儀である。選定などの経緯については判っていないが、後に内務卿となる大久保利通がヨーロッパ視察の途上発注したものとの説もある。

その後天体観測及び暦の編纂が文部省の所管に移ったことに伴い、この赤道儀も麻布に設置された東京天文台(後の国立天文台)に移動されている。天文台が三鷹に移転された際にも同行したが、昭和の初期に新しい大型望遠鏡が設置されてその役目を終えた。
 
遠眼鏡(とおめがね)実物(江戸時代後期):望遠鏡は、その発明から間もなく日本に渡来した。しかし、本格的に用いられ始めたのは、18世紀末の寛政年間ごろで、岩橋善兵衛などの望遠鏡(遠眼鏡)製作者も現れた。
 
天文成象図(てんもんせいしょうず)1699(元禄12)年:江戸時代初め、日本人の宇宙に対する知識は中国から輸入された星図に依っていた。自ら天を観測し、日本独自の暦や天球儀などを製作した渋川春海は1699年、それまでの中国星座の中に自ら考案した星座61個(星数308個)を加えて独自の製図『天文成象図』として刊行した。座標軸として赤道座標が用いられ、中国由来の星座と春海考案の星座が色分けされて示されている。
 
 
 
 
 
日本の暦の移り変わり
 
貞亨暦(じょうきょうれき)1729(享保14)年版:渋川春海(1639~1715)により、観測に基づいて日本の経度・緯度に合わせてつくられた、日本で初めての国産暦。1685(貞享2)年より施行された。
 
 
太陰太陽暦
 
紙張子製天球儀実物(江戸時代後期(19世紀)ごろ):谷津家に伝来した紙張子製天球儀で球部のみ残る。経緯度線は距線のほか、西洋流に10度ごとの赤経・赤緯線が記される。黄道は記載を誤っている。
 
紙張子製天球儀実物(1690(元禄3)年):渋を施した紙張子製で、やや小型の天球儀。旧名張藩・藤堂家に伝来した。銅製地平環の裏面に制作年や渋川春海の星図に基づいて製作したことが記されている。
 
黒漆塗天球儀実物(18世紀後半ごろ):旧宮崎延岡藩主内藤家に伝来した黒漆塗の天球儀。星の明るさにより大小の差がある。製作者・製作年代は不明だが、江戸時代後期18世紀後半ごろと見られる。
 
ユーイング-グレイの円盤式地震計レプリカ(1880年代はじめ):最初期の実用地震計。地面の東西・南北の水平方向の動きと、上下方向の動きのあわせて3成分をすすをつけたガラス円盤の上に記録する。水平動にはユーイングが地震計用に改良した水平振り子を、上下動にはグレイの考えた上下動振り子をユーイングが改良したものを使っている。
 
携帯用日時計
 
和時計の原型について
 
てんぷ掛時計など
 
割駒式尺時計など
 
小型枕時計など
 
四つ丸型掛時計
 
八角合長掛時計など
 
            東京上野:国立科学博物館

国立科学博物館(日本館2F)2016/11/03 17:20

およそ4万年前、私たちの祖先は、東アジアの辺境で、森と海の恵みにあふれた日本列島を見いだし、そこに住みつきました。その後も、アジア各地からさまざまな人々が固有の文化をもって日本列島に渡来し、互いに融合しつつも独自性を保って発展してきました。祖先たちは、土器の発明や栽培植物の改良などの工夫をこらしながら、日本列島の自然と上手に付き合ってきました。
 
巧みに生きる縄文人
 
古代人の文化
 
 
 
日本に住んでいる生き物たち:約170万年前から続く氷期と間氷期の繰り返しの中で、氷期に陸化した海峡を渡って大陸から日本列島に移りすんだ生き物たちは、海で隔てられた間氷期には、日本列島の変化に富んだ気候や複雑な地形などの自然環境に適応しつつ独自の分化を遂げました。
 
 
 
 
 
            東京上野:国立科学博物館

国立科学博物館(日本館3F)2016/11/03 17:30

日本館の3階では日本列島の生い立ちなどを学ぶことができます。

世界的にもまれな複雑な地史的背景をもつこの列島では、数多くの生き物たちが繁栄と絶滅を繰り返してきました。地層に刻み込まれた生き物たちの痕跡は、日本が大陸の縁から分裂し、列島として成立するまでのダイナミックな変動の歴史を物語ってくれます。

 
フタバスズキリュウ復元全身骨格/白亜紀後期/エラスモサウルス科
 
 
日本列島誕生前‥
 
日本最古の化石を含む可能性のある珪質岩/実物/オルドビス紀 など
 
“マーチソニア”/巻貝類/実物/ペルム紀/マーチソニア科 など
 
川下芳太郎コレクション
 
パキデスモセラス と ユウパキディスカス/アンモナイト類/白亜紀後期
 
アロデスムス/新第三紀中新世中期/デスマトフォカ科
デスモスチルス/新第三紀中新世前期/デスモスチルス科
 
トウヨウゾウ/更新世中期/ステゴドン科
ナウマンゾウ(頭骨)/更新世中期/ゾウ科
ヤベオオツノジカ/更新世後期/シカ科
 
飛騨片麻岩/片麻岩
 
日本の鉱物:日本列島は、地質年代的な長い目で見ると地殻運動によってめまぐるしく変化し、複雑な地質と山岳に富む地形が造られました。また、四季の変化が明瞭で、季節風と海流の影響を強く受けています。このように地形的にも気候的にも複雑な自然環境は、多様な生き物たちを育んできました。
 
輝安鉱
 
石英(日本式双晶)
 
カリ長石
 
菱マンガン鉱
 
隕石
 
日本列島の素顔:屋久杉輪切り標本
 
岩石で作った日本の地質図/岩石
 
地球の構造/地震発生帯の鉱物/紅れん片岩 など
 
地球深部探査船ちきゅう(ボーリングコア)
 
日本列島を囲む豊かな海の生き物たち
 
            東京上野:国立科学博物館