JR田端駅南口側スナップ ― 2021/06/26 11:00
芥川龍之介を偲ぶ旅路@田端 ― 2021/06/26 12:00
田端八幡宮神社@田端2丁目 ― 2021/06/26 13:00
JR田端駅北口から西へ徒歩数分に位置する田端八幡宮は、1189(文治5)年、源頼朝が当地の豪族・豊島氏らと共に奥州藤原氏を討伐(奥州合戦)、その帰路に当地に立ち寄り、鎌倉・鶴岡八幡宮を勧請、旧田端村の鎮守としたことに始まり、室町時代には豊島氏を滅ぼした太田道灌が当地に出城を築城したことから、城山八幡と呼ばれた。江戸時代になると田端八幡宮と称されるようになる。
1945(昭和20)年4月の空襲により社殿などを焼失、その後1961(昭和36)年8月に社殿が再建された。1990(平成2)年10月、即位の礼に反対する左翼過激派の連続放火テロにより、再び社殿を焼失。1992(平成4)年に氏子の協力のもと再建の運びとなり、翌1993(平成5)年5月に遷座祭が行われている。
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石造金剛力士立像(赤紙仁王) ― 2021/06/26 14:00
石造金剛力士立像(赤紙仁王)東京都北区指定文化財(有形民俗文化財)平成10年4月28日指定
石造金剛力士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。
寛永18(1641)年8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病を鎮めるために造立されたとつたえられます。
赤紙仁王は、江戸時代の末期までは、田端村の鎮守である八幡神社の社前にありましたが、明治維新の神仏分離を契機に、別当寺であった東覚寺の境内に移され、以後、都内に現存する比較的古い時代の石造の仁王像としても広く知られています。
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