文京区本郷1丁目界隈スナップ ― 2021/06/11 18:00
地下鉄丸ノ内線旧東富阪ガード地下通路と出世稲荷
◆旧東富坂(東京都文京区教育委員会 昭和63年3月)
むかし,文京区役所があるあたりの低地を二ヶ谷(にがや)といい,この谷をはさんで,東西に二つの急な坂があった。
東の坂は,木が生い繁り,鳶(とび)がたくさん集まってくるので「鳶坂」といい,いつの頃からか,「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)富む坂,庶民の願いがうかがえる呼び名である。
また,二ヶ谷を飛び越えて向き合っている坂ということから「飛び坂」ともいわれた。明治41年,本郷3丁目から伝通院まで開通した路面電車の通り道として,現在の東富坂 (真砂坂) が開かれた。それまでは,区内通行の大切な道路の一つであった。
◆文京区:出世稲荷の由緒(文京区教育委員会 昭和60年3月)
この辺昔 春日局宅地なりし時 鎮守のため勧請なり 春日局 出世ありしゆえ当社の神徳を崇め 出世稲荷と崇め奉るなり『旧事茗話』
春日局は本名『ふく』父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である 戦いに敗れ 逆賊の家族として苦しい生活をした 後 徳川三代将軍家光の乳母となり 江戸城大奥にて大きな力をもつに至った
このあたりの片側を将軍から拝領し町屋をつくった『御府内備考』によれば神社の土地は拝領地28坪 外に27坪 小栗猶之丞より借地とある 享保2年焼失したので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り祭った
春日町起源のゆかりのある場所である
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