国立科学博物館(日本館1F) ― 2016/11/03 17:10
日本館の1階では、時空を超えて‥移り変わる季節と多様な自然の中で培われた細やかな観察眼と、日々の生活の中で育まれたものづくりに対する独創性。現在に伝えられている当時の文献、作品、道具あるいは装置などは、私たちの科学と技術に関わる活動の跡を雄弁に語ってくれます。
トロートン・アンド・シムス社製/口径20cm屈折赤道儀(明治13年)重要文化財。日本に初めて導入された本格的な天体望遠鏡。
幕府から暦の作成を引き継いでいた明治政府によって、当時の内務省地理局に新たな観測用望遠鏡がイギリスから輸入・導入された。それがこのトロートン社製口径20センチの屈折赤道儀である。選定などの経緯については判っていないが、後に内務卿となる大久保利通がヨーロッパ視察の途上発注したものとの説もある。
その後天体観測及び暦の編纂が文部省の所管に移ったことに伴い、この赤道儀も麻布に設置された東京天文台(後の国立天文台)に移動されている。天文台が三鷹に移転された際にも同行したが、昭和の初期に新しい大型望遠鏡が設置されてその役目を終えた。
遠眼鏡(とおめがね)実物(江戸時代後期):望遠鏡は、その発明から間もなく日本に渡来した。しかし、本格的に用いられ始めたのは、18世紀末の寛政年間ごろで、岩橋善兵衛などの望遠鏡(遠眼鏡)製作者も現れた。
天文成象図(てんもんせいしょうず)1699(元禄12)年:江戸時代初め、日本人の宇宙に対する知識は中国から輸入された星図に依っていた。自ら天を観測し、日本独自の暦や天球儀などを製作した渋川春海は1699年、それまでの中国星座の中に自ら考案した星座61個(星数308個)を加えて独自の製図『天文成象図』として刊行した。座標軸として赤道座標が用いられ、中国由来の星座と春海考案の星座が色分けされて示されている。
日本の暦の移り変わり
貞亨暦(じょうきょうれき)1729(享保14)年版:渋川春海(1639~1715)により、観測に基づいて日本の経度・緯度に合わせてつくられた、日本で初めての国産暦。1685(貞享2)年より施行された。
太陰太陽暦
紙張子製天球儀実物(江戸時代後期(19世紀)ごろ):谷津家に伝来した紙張子製天球儀で球部のみ残る。経緯度線は距線のほか、西洋流に10度ごとの赤経・赤緯線が記される。黄道は記載を誤っている。
紙張子製天球儀実物(1690(元禄3)年):渋を施した紙張子製で、やや小型の天球儀。旧名張藩・藤堂家に伝来した。銅製地平環の裏面に制作年や渋川春海の星図に基づいて製作したことが記されている。
黒漆塗天球儀実物(18世紀後半ごろ):旧宮崎延岡藩主内藤家に伝来した黒漆塗の天球儀。星の明るさにより大小の差がある。製作者・製作年代は不明だが、江戸時代後期18世紀後半ごろと見られる。
ユーイング-グレイの円盤式地震計レプリカ(1880年代はじめ):最初期の実用地震計。地面の東西・南北の水平方向の動きと、上下方向の動きのあわせて3成分をすすをつけたガラス円盤の上に記録する。水平動にはユーイングが地震計用に改良した水平振り子を、上下動にはグレイの考えた上下動振り子をユーイングが改良したものを使っている。
携帯用日時計
和時計の原型について
てんぷ掛時計など
割駒式尺時計など
小型枕時計など
四つ丸型掛時計
八角合長掛時計など
東京上野:国立科学博物館
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://cha-o.asablo.jp/blog/2016/11/03/8241502/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。