根岸踏切井頭踏切界隈プチ鉄 ― 2021/06/05 16:00
北区岸町の地蔵尊と都市計画 ― 2021/06/05 17:00
北区岸町2丁目(東十条駅の南西側)にある地蔵堂は、以前は地蔵坂の中腹にありましたが、昭和六年(1931)の下十条駅(現東十条駅)開通、昭和十二年の道路拡張により現在地に移されたとのこと、地蔵堂の中には、大小の地蔵尊と二基の石像が納められています。このうち、中央の大型の地蔵尊(高さ九十五センチ、丸彫立像)が子育て地蔵尊です。江戸時代にはすでに地蔵尊が存在していたようです。
地蔵堂の脇には岸二町内案内図があり、この案内に従い地蔵坂を下って町内を歩くと、武蔵野台地の突端である十条台の東側傾斜地と点在する階段に遭遇し、一部崩壊の心配がある斜面を含めて、この地区は今まさに都市計画が進められており、町の景観がいつまで残っていくのか心配なところもあります。
東京北区地区計画:岸町二丁目地区:https://www.city.kita.tokyo.jp/jujomachi/toshikeikaku4.html
令和3年3月4日、岸町二丁目地区地区計画の都市計画決定:https://www.city.kita.tokyo.jp/jujomachi/documents/01-2_kisipanfu0304.pdf
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十条山地福寺と十条富士神社 ― 2021/06/05 18:00
真言宗智山派寺院の地福寺は、十條山東光院と号します。地福寺は、京都の御室御所仁和寺の僧経邦上人が、伊豫公(奥州征伐後の康平6年1063年に伊予守に任官した源頼義)に随行、奥州征伐後も当地に留まり、康平年間(1058-1064)に創建したといいます。当寺は日光御成道に面していることもあり、将軍家の日光社参に際しては、しばしば休憩所として利用され、寛政年間(1789-1800)には江戸幕府より寺領12石の御朱印状を受領していました。
昭和20年の東京大空襲により当寺も罹災したものの、第69世三輪照宗大僧正が中興、第70世照峰はイラワジ河会戦地のミャンマー・サガインヒルに日緬山竪琴寺を開山創建し、ミャンマー児童の教育・自立に尽力しています。
豊島八十八ヶ所霊場28番札所、北豊島三十三ヶ所霊場3番札所です。
迫力満点?戦火に耐えた樹齢約300年@十条山地福寺
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